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レポート

2011.06.23
縁(2011年1月)

建主様をはじめ、皆様のおかげをもちまして、
弊社は設立20周年をむかえることができました。
心より御礼申し上げます。

いくら経験を重ねても、住宅の営業は難しいと感じるときがあります。

プレゼン段階での競合に敗れてしまったお客様から、それこそ忘れた頃にお電話を頂戴し、「実は契約した業者とトラブルになってしまって・・・」というご相談を受けることがあります。

件数は多くないのですが、高い買い物のことですから、いつの場合も深刻です。

第三者として伺うと、全幅の信頼の元にはじまり、しかも微塵の悪意も無く進もうとする話がどうしてこんなことになるのか?

その後の展開の損得より先に、住宅業界、輸入住宅業界の一員としての危機感や憤りを感じることもしばしばです。

一軒の家が無事に完成するということは、当たり前のようで、時として深刻なトラブルになるのです。

概ねトラブルの原因は二通りのように感じます。

ひとつは予算的に割安であることを前提に契約が具体化していく中で、価格が増額したり、実行されようとしている仕様が、重要な部分において期待していたものと違っていて、詳細な設計をしたら、断った会社のほうが安かったなどという場合です。

契約前、着工前に発覚すれば幸いですが、あとになればなるほど、不満は根深くなります。

もうひとつのパターンは、プレゼンの絵画的な水準の高さを盲信してしまい、ビルダーとしての力量の評価を誤る場合があるようです。

確かに建築にとって、絵(デザイン)は重要な要素で、美しい絵(デザイン)ができない者に美しい家はできないとは思います。

しかし、絵の上手い下手がそのままデザインやプランの良し悪しではなく、また、デザイナーの絵画的な素養とそのデザイナーが属している会社のビルダーとしての力量は別物なのです。

つまり、美しいプレゼンがそのまま順調に美しい住宅になるわけではないのです。

ただ、いろいろなトラブルの根底にはひとつの傾向が見えます。

住宅は多くの人々の連携によって完成していきます。

小規模の会社でも、業務は少なからず分業されていて、ややもすると営業はお客様の顔色をみるだけ、プレゼンするものはプレゼンするだけ、設計、積算、工務とすべて自分の仕事を坦々とこなすだけで、建主様への愛情も、物造りとしてのこだわりもないまま住まい造りが進んでいくことがあるのです。

本当の意味で建主の立場に立つプロがいないのです。

住まいに対するこだわりもなく、予算的にも、工期的にも無理の無い方の場合、問題なく進む場合もあるのでしょう。

しかし、住まいにこだわりを持てば持つほど、トータルでの責任者不在の住まい造りは破綻する可能性を増します。

ひとたび問題が生じた場合、それこそ責任のなすりつけ合いが起こるのです。

本気で施主の立場に立って采配をふるうのは誰なのか?

それは社長であったり、営業であったり、設計であったり、工事であったりと、組織によってまちまちです。

正しくキーマンを見抜き、その人の才覚や人間性を判断の基準加えると、深刻なトラブルを避ける一助になると思います。

反対に業者としては、どのようにすれば建主様にご満足いただけるのか?

社員、職方の一人ひとりが、建主様の立場に立って業務にあたることが、基本となり、社是となるべきなのでしょう。

ひょっとしたら時代に合わない考えなのかもしれません。

ただ手前みそですが、弊社の20年の歴史の中で、建主様との信頼関係においてそれほど深刻なトラブルがないことを思うと、あながち間違えではなかったと自負しております。

建主様と業者のつきあいは半生近くに及び、多くの場合、紆余曲折にあふれています。

契約時には全幅の信頼を得ていたものが、尻つぼみに終わることがあります。

竣工時に満足していたものが、思わぬ欠陥が発覚することもあります。

メンテナンスの対応で不愉快な思いをしたかと思えば、その後に献身的な対応で信頼感を回復することもあります。

私達が心がけていることは、ときにお叱りを受けても、それを真摯に受け止め、過ちを繰り返さないということです。

それは、至極当然のようで、そして難しい、人としてのあり方と同じことのようです。

建主様と業者の関係は、果てしなく続き、それこそ「縁」と呼ぶべきものと感じます。

「縁」の広がりますことを、「縁」の深まりますことを、年の始まりに、ただそれだけを願います。

カテゴリー:話題

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